ソクラテスは「悪法もまた法なり」という言葉を遺したといわれていますが、社会の中で生きている以上、人間はどんな法律でも守らなければならないということは1つの前提です。だからといって、法律についてみんな同じ価値観を持つことは、事実不可能であることもまた1つの真理です。この具体例として、今注目されている非嫡出子の相続差別があげられると思います。
民法では相続について、非嫡出子(婚外子)は嫡出子(婚姻した間に生まれた子ども)の2分の1という規定があります(第900条第4号但書)。この規定について、日本国憲法第14条(法の下の平等)に違反しているとして、現在最高裁判所で争われており、4日にも判断されるようです。
新聞によると、非嫡出子出生の割合は年々増加傾向にありますが、約2.3%程度とその割合は決して高いものではありません。そして、これまで日本では事実婚(戸籍上は夫婦ではなくても、実際は夫婦のように生活していること)より法律婚(婚姻届を提出し、戸籍上夫婦と認められていること)を重視してきた経緯があります。一方、このような非嫡出子の相続差別を行っているのは主要先進国では日本だけであり、国連等から批判を受けているとのことです。欧米では非嫡出子の割合が多く、嫡出子と非嫡出子の区別を撤廃した国もあります。ただし、これは「文化の相違」であり、なにも欧米諸国にあわせる必要性はないとの意見もあるようです。
確かに日本国憲法の条文を素直に読めば、非嫡出子の相続差別は法の下の平等に反するといえますが、民法や法解釈ではこれまで「家」や「祭祀承継」といったことを判断材料の1つとしてきました。このように意見が真っ向対立していることについて、すべての人が納得する判断を下すことはおそらく無理でしょう。ここが法律の限界でもあるような気がします。一番よいのは調停などで当事者同士が話し合い、合意することだと思いますが、最高裁が判断を下さなければならないことも1つの事実。私としては、どちらの判断になるにせよ、どういう理由で判断されたか、その点に注目したいと思っています。
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